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- 六日町(近世~近代)とは
「六日町(近世~近代)」の関連ワード⇒ 赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
- 六日町(近世~近代)
江戸期~昭和40年の町名江戸期は鹿児島城下下町のうち明治22年からは鹿児島市の町名山下町より東に折れ築町までをいう(県地誌)明治10年代の戸籍簿による戸数206...
[最終更新日:2009-03-01/JLogosid:7463491]
関連項目:
赤田組(近世) 飯詰組(近世) 石浜村(近世)
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六日町(近世~近代) 江戸期~昭和38年の町名江戸期は盛岡城下の一町町人地城東地区に属し,中津川左岸の南に位置する町名の由来は,毎月6・16日が当町の市日であったことによる盛岡藩が幕府へ届け出た盛岡二十三町の1つ天明8年の家数31・人数447(邦内郷村志)町の規模は2町半程寛永年間御会所場が馬場小路から当町に移されたが,のち大清水小路に移転した(盛岡砂子)明治5年当地に開設された盛岡郵便取扱所は県内で最初のものであった同8年の戸数128(盛岡市史)明治4年東中野村の字名,同22年盛岡市東中野の字名,昭和20年からは盛岡市の町名となるなお,「盛岡市史」によれば,明治期東中野の字として見えない時期がある昭和26年の世帯数97・人口481(男234・女247)同38年肴町・下ノ橋町・清水町となる |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」